本日は、歴史ある「古河城・古河城跡」についてご紹介させていただきます
古河市で不動産売買のサポートをしている栄進です。
古河市は、「歴史と文化の街」と言われており、日光街道が通っていたので宿場町でもあります。
市内を散策してみると、資料館や篆刻美術館があったり、昔の面影がある建物だったり風景を見つけられるかと思います。
かつて、古河市には「古河城」がありました。
現在は、古河城本丸があった場所は河川敷になって残っていませんが、資料館などに行くと当時の古河城から古河城付近を縮小して再現したレプリカがあります。
本日は、歴史ある「古河城・古河城跡」についてご紹介させていただきます。
◎古河城について
「古河城」は、下総国(現在の古河市)にあったお城で、古河公方である足利成氏の居城としても知られています。
古河城に住んでいたことで、古河御仁や古河御所などと別名で呼ばれることもあったようです。
江戸時代に入ると、徳川家康や日光に祀られたことがきっかけで、歴代の徳川家の将軍らが日光を参拝するようになります。
将軍らが通る道を「日光街道」とされ、日光街道が古河を通過することで古河市内は宿所として利用されるようになります。
利根川へ流れ込む渡良瀬川の東岸に古河城が隣接していました。
二つの川に古河城は守られており、さらに城自体も川を使った大きな堀に囲まれていたので、とても堅牢でした。
利根川を挟んだ向こう側には、古河公方と対立する上杉氏が対峙しており、成氏が上杉憲忠を倒した後に享徳の乱が勃発しました。
その際に、「古河城」は戦いの行方を左右する重要な拠点だったため、両者による奪い合いが発生しました。
享徳の乱が終わり、後北条氏が台頭したことをきっかけに、古河公方と対立することになり、「古河城」が再び戦争の中心へとなってしまいます。
ですが、豊臣秀吉が後北条氏へおこなった小田原征伐によって、関東における戦乱の時代が終結しました。
戦乱時代終結後は、徳川氏の勢力圏となり、複数回の改修が古河城へ加わり、三層天守や複数の御所が造られました。
平和となった時代に、古河城は発展していきましたが、明治維新とともに城は廃城してしまいます。
その後、渡良瀬川からの水害を防ぐために治水が行われ、その後完全に歴史から姿を消してしまいました。
移築された建物は古河市内にいくつか残っています。
また、渡良瀬川の周辺には古河城の面影が見える場所だったり、石碑が立っていたりするので、散歩をしながら歴史を触れることができます。
◎古河城の移築された建物は?
治水工事によって古河城は失われ、本丸があった場所は河川敷になってしまいました。
ですが、取り壊しがされる前に建物は古河市内の各所に残っています。
錦町には、瀬政神社があり、中央町の副法寺にある山門、などいろいろなところで痕跡を見ることが可能です。
江戸時代から続く「坂長」というお店では、屋号の酒蔵が古河城文庫蔵のもので、その近くには乾蔵があるのですが、こちらも古河城から移築した物だそうです。
酒蔵となっている古河城文庫蔵は、国の登録有形文化財に指定されており、とても貴重な物です。
◎まとめ
本日は、かつて渡良瀬川の近くにあった「古河城」についてご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
現在は、姿を見ることができない古河城ですが、古河市内に移築された古河城跡を散策したり、博物館・資料館へ足を運び、古河市の歴史について触れてみるのはいかがでしょうか。
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